Praying for Quake Victim-12 Years After-
結局四時半くらいまで(途中うとうとしたものの)PCの前にいてたが、オトンの一周忌で早めに起きてたのもあってダウン。そして朝の5時46分のあの一瞬時間が止まったあの黙祷の時間には起きれず。
限定公開チャ室にはえーすさんとうわぁさんが来てくれました。有難いことです。
と言う訳で阪神大震災のあの日からもう12年である。早いなと毎年感じつつ、毎年この日が近づくと胸が締め付けられるような思いがすると同時に、残され生き延びた我々としては「強く生きなきゃ」と気持ちをリセットする日でもある。
忘れたい…が忘れられない、忘れてはいけない、今のオレがあるのは贄になった…と言えば失礼だが犠牲になった方々のおかげであるからである。
さて、九時過ぎにうちの友人が迎えに来てくれて、宝塚市某所の友人の墓へ。
亡くなった予定嫁っ子は本籍が九州にある為、一週間前に例年通り弟くんへメールで失礼だが、言葉を添えておいた。
学生時代の友人を弔う為に、数年前までは仲間が勢ぞろいだったのに、今年はたった三人とは…皆仕事を抱え都合があって仕方ないにしても、ちとさびしい。
友人のオバちゃんに香典を渡し、皆でお寺さんの法要を聞くか、と言われたが我々は遠慮して先に墓へ。
泣きそうになったからと言うのもあるが親戚の方が13回忌と言う事でいっぱい来られている中にお邪魔するのは心無いと感じたからだ。
で、例年のごとく安バーボンを紙コップに入れて供え、そのバーボンの小瓶を皆でラッパ呑みして空ける。
よく考えたら飲酒運転幇助だ…やばい。
と言う訳で帰宅したら、12時過ぎであった。
何か自分の中で納得が行かないのもあって、ダッシュで着替えデジカメを抱えて阪急に乗り、三宮へ向う。
♪何かに誘われてセンチメンタルジャーニー♪
では無いが、gigabeatの音楽も何故かスローで悲しいのばっかし聴いてしまう。うーん、やはりどこかネガティヴ…
で、中華街を抜け、メリケンパークへ。
一度見ておきたかった、震災メモリアルパークへ初めて足を踏み入れる。
ここには当時破損した岸壁がそのまま保存されているのだ。
写真を見ていただければその衝撃の凄さを感じていただけるのではなかろうか。
潮風を感じながらも目の前のヒビが入った岸壁を見て、当時の凄まじさを想像してしまいゾッとする。
ついでに、中突堤に出て、海援隊記念碑とポートタワーのショットを収めておいた。
そのまま、帰ってもよかったのだが、せっかくなので旧居留地を抜けて神戸東遊園地へ向う。ルミナリエの正規コースを一人で歩いてきたことになる。
夕方四時前なのに、まだ慰霊に来られている方が多くおられたのだった。
TOP日付写真はその竹灯篭のもの。
そして、希望の灯りの前で手を合わせ黙祷した瞬間、ちとウルっときかけたが、やはりここまで足を向けてよかったと感じた。
東遊園地から阪急三宮駅へ北上する時、あの時間で動きを止めたマリーナ像を見て、またこみ上げてきた涙がこぼれそうになった。
12年と言う歳月は何度も言うがさほど長く感じない。常に再発したらどうしようと言う気持ちが心のどこかにあるからだろうか。
そして神戸は表向きは復興したように見えるが、未だ長田区の再開発は進んでいないし、来年からは県の震災復興基金補助も締め切られるらしいが、まだ被害から抜け切れていない人も多数いるだろうに、憤懣がつのるばかりである。復興住宅住まいの人の援助も確か打ち切られるんだっけ??
…支援のあり方が判っていないと言うか、やはり首都圏のお役人としては雲の上の出来事としか思っていないのであろうか。
全く腹立たしい限り。
そして12年経ってもオレはやはりどこかで泣き虫、弱虫のままだなと感じたり。これじゃーあかんのだけどもね…
でも気持ちをリセットして、オレの今年は明日から始まるくらいの意気で頑張らないと。
1.17と言うメモリアル・デー、貴方はどう感じたでしょうか??